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2014年2月17日 (月)

貴妃醉酒(京劇)

貴妃醉洒
貴妃醉酒又の名百花亭、此劇は本、昆曲から出たので脱靴寫詩と共に
「綴白裘」中にあり。京劇は之を四平調に改めたので、吹腔と餘り變りがない。
歌の文句・科白ほ昆曲を藍本としてゐるから他の京劇の脚本に比
して幾分雅馴な處がある。恁ういふものは昆劇と京劇と見較べたら、
そこに能樂と歌舞伎の差のやうな或る物が発見され、大に面白から
うと思はれる。劇の骨子は一日楊貴妃、百花亭に来つて酒宴の準備をなし
玄宗皇帝の行幸を待つてゐた。それは前日、皇帝が貴妃と約               
して、百花亭で花を眺め酒を飲む筈だつたからである。
然るにその日車駕来らず、 暫く待つてゐた後ち、皇帝は已に江妃宮に入るといふ報らせを得たので、貴妃は煩悶L嫉妬L、遂に憂を晴す為め、やけ酒を飲み、飲んだ揚げ句は春情熾んに催し、高力士、斐力士の二宦官を相手に馬鹿げた戯れをする。その醉態痴情を見せる芝居である。恐らく支那後宮生活のだらしのない事を諷したものであらう。

                                              
だから此芝居を下手な役者にやらせるといやらしくなつて仕舞ふ、故人路三實は常に之を演じて大評判を取つた。又今日此劇を能く演じる者は北方で梅蘭芳、南方で欧陽予倩即ち花旦ひとり手柄芝居である。
 

 斐力士高力士両人登場、彼等は宦官のかしらであるから美々しい服装をなし、その色は黄と紅斜襟大袖、黒底圓形の金龍のぬひとりあり。
斐「あまつみそらの神仙府」
高「あまがしたには宰相家」
斐「若し眞の富貴を得んとせば」
高「帝王家にあらずんばあらず」
 斐高同音に
 「御同役には御苦勞千萬」

斐「今日萬歳爺<ワンセイヱ>には娘娘<ニヤンニヤー>を召され、百花亭にて御宴あり。我々は心して伺候致そう、おー香のけむりが立ち登る。娘娘が見えましたわえ」
高「サア各々受け持に就きませう」

二人は左右に別れて後方に行き、中腰になつて大きな物を抱へ、中央に持ち運んで卸す。之は牡丹の鉢植ゑだそうだが、舞臺に實物がなく空を攫んで来る。
斐「御苦勞さま」
高「御苦勞さま」
                               
と會釋して退場。楊貴妃、揚幕の内で
 「いざ參らう」
四太監四宮女登場。
 太監は下手に立ちならび、宮女は中央の椅子を境にしてかみ手ほど好き處に立つ。
 楊貴妃登場、唄平板(東の空にほのぼのと、海より出でて登る月、水と空とを別ちつゝ、玉兎初めて明らかに、嫦娥月宮を離れたり)                       →
 水鑽を以て美々しく飾つた鳳冠をかぷり、雲肩と名づくるショールを肩に纏ひ、緋地に雲彩花朶を繍した、女蟒を着し、腰に箍のやうな恰好の美しい寶帯を帯ひ、下に裙を穿き、褲子を穿き、その末端から極めて小さな鞋か見える。此濃艶な姿で後ろ向きのまゝ静づ静づとと舞臺に現はれる                             
軈て好き處で、なよなよと身を一轉し、前記の歌を唄ひ終り、ニッコリ笑って進み、
正面の席にさも遊び勞かれたといふ風で、グッタリ腰を卸し、暫らく凭れかかつてゐる。

 爰は楊貴妃、自分の宮室から出て百花亭に赴く處である。正面の椅子は即ち乗物の意で、宮女や太監はそれに扈従して、盛んに香を焚きながら、百花亭の門まで来つたのである。斐、高両力士は既に百花亭にあつて仕度をしてゐたが、香煙の立ちのぼるのを見て、貴妃の到着を知り、門で出迎へるのである。
 太監宮女等退場。斐、高力士登場、貴妃の御前に跪き「娘娘千歳」と呼ぷ。貴妃は少し面を向なほし「おー二人とも退儀であらう、楽におりやれ」二人は更に「千々歳」といつて、身を起し左右に別れて立つ。
 これから斐、高力士は妃の先導になつてゆくのであるが、役者は餘り身體を動かさず白や唱でその意をあらはすのである。
妃「獨り後宮に暮す事数年、先づみかどの寵愛を占め獲て貴妃の位にあり。昨日主上はわらはに命じて百花亭にて御宴を開けよとの事、おー高斐二卿、退儀ながら、のりものを進められよ」 「承知致して御座ります」
 貴妃唱平板(恰も嫦蛾ここのへに下るに似て、悽じや月の都、お-月の都)
斐「申上げます。はや己に玉石橋に到着しました」
                                                                                             
妃「おー玉石橋とな」
高「金絲の鯉魚は娘娘に朝見せり」
貴妃唱平板(見よや、魚は水に戯るるを。金絲の鯉魚は水面に翻る)此唱を三度繰りかへしつつ舞ふ。續いて高斐同音に白あり
 「空には雁金鳴きつれて」
妃「おー」
貴妃唱平板(空には雁金鳴きつれて、我が聲を聞くや影は畫屏に落ちたり)

「申上げます。既に百花亭に到着致しました」
 此時貴妃は駕を下りるこなしで立ち上り、観客の方に向つて、濃艶な笑みを浴びせかけ、なよなよと腰を動かして歩む。
 貴妃唱(宮人の申出により百花亭に歩みを移しぬ)
妃「二卿よ、聖駕到らば急ぎ告げ報らせよ」
 「かしこまつて御座ります」
 二人は、側を向いて冷笑ふ。高は斐に向ひ
高「主上は貴妃を瞞したのぢや、その事を申上げよう」
 と妃に向ひ
高「みかどののりものは、西宮へ向ひました」
妃「何とおひやる」
高「聖駕は已に西宮に入りました」
妃「おゝ」
高「誠に何とも恐縮で御座います」                  
妃「昨日あれほど、固く仰せられしに、今日俄に西宮にみゆきありしは、偖ては彼奴等の手練、 チエー無念な。高斐二卿、速かに宴席を開かれよ。獨り自ら盃を傾けん」
 軈て緑色の装ひした宮女二人登場、手に盤を捧げて妃の前に跪き
宮「御酒きこし召せ」
妃「おゝそちの参る酒は何と申す」
宮「龍鳳酒と申します」
妃「何故あつて龍鳳酒とは名づけたる」
宮「聖上と娘娘と共に聞し召す酒、故にその名を龍鳳酒と申します」
妃「ほう、それは面白い、近う持て参れ」
 次に斐力士右より御前に進む
斐「御酒きこし召せ」
妃「そちの酒は何と申す」
斐「太平酒と申します」
妃「太平洒とは如何なるいわれ」
斐「文武百官の作る處、之を太平洒と申します」
妃「ほう、近う持て参れ」
 次に高力士左より進む
高「どうぞ、やつがれの洒をもお用ゐあらん事を」
妃「その方の酒は何と申す」
高「通宵酒と申します」
妃「チヱツ、何故あつてさは名づけたる。わらはは如何なる好き宵を過ごしつつあるにや」
高「娘娘、どうぞ暫くお怒りなく、此酒は文武百官、晝夜を分かたず作るところ、故に夜とぼし の酒とは申しました」
妃「よし、さらば近う持て参れ」
貴妃唱(今宵ぞ金鐘を棒ぐ。人生まれて世に在る、春の夢の如し。よし数杯を飲んで憂さを晴さん)
 貴妃は立ち上つて左右の手を擴げ、二宮女の肩を両腋に抱へると、右の宮女は斐力士の肩を抱へ左の宮女は高力士の肩を抱へるので横列が出来る。軈て此横列は貴妃の主動に依つて前後左右に進退し、遂に正面に戻つて来て、急にベタリと地に坐はる。貴妃は酵つた勢で之を強く揺り動かすので、末端の斐力士高力士は足を空へ向けて転倒する滑稽な仕草がある。終つて宮女等下場。
貴妃は末だ酒が充分でないようだから、モツと御用を申し付けるかも知れない。我々は注意して御前に伺候致さう、などと言つて左右に立つてゐる。貴妃は椅子にぐつたり身を凭たせてゐたが
軈て面を上げ
                                                                                                                                                                                                                                       
「高斐二卿よ、酒醉ひをなさず、大杯を持て参れ」
 高、斐同音に
「畏つて御座ります」
軈て斐力士、高力士、宮女といふ順序で、迭る迭る盤の上に盃を載せて御前に跪き酒を進む。
此劇の見ものといふ貴妃の曲飲みが之れから初まるのである。

  貴妃はやをら身を起こして立ち、盤の前に至り、だんだん身を僂めて首を盤上に延ばし、
丸で蛇が水を飲むような恰好となつて酒杯を啣へた後ち、斜めに身を裏返して、そり橋の如く仰向き、頂は地に着くばかりの姿勢となる。軈て好き程に啣へてゐた杯を離す。杯は、ホロリと盤上に落ちもとの如くチヤンと上向きになつてゐる。此間手は少しも用ゐず、足は一定の地點を移動せず、すり足のまゝ廻るのである。然かも役者は蹺を穿いてゐるのである。實に驚くべき柔かな腰だ。
恁ういふ離れ業を感服するのは甚だ低級なようだが、此貴妃醉洒に限つては決して不調和でない否な却つて貴妃の美しさを増してゐる。こゝらが支那芝居の面白い處である。偖て此離れ業が三遍ほど行はれて斐高宮女等皆退場する。貴妃は椅子に坐し、醉ひつかれて睡る體、此時例の鼻の上を白く塗つた高力士出で来り、大聲上げ「聖駕到る聖駕到る」と叫ぶ。                                                                                                                                                                                                                                                                                
貴妃は驚いて眼を醒ましおゝと言つて立つ。
 貴妃唱倒板(報らせに拠れば、萬歳の駕、百花亭に到りしとよ)
                                                                                                                                                                                
高「娘娘、醉ひはさほどでもなし、お迎へに出でられよ。御供致しませう」
貴妃唱平板(急いで地に跪き)

妃「妾妃楊玉環、接駕の遅延、萬歳おゆるしあれ」
高「娘娘、實はやつがれがたばかつたので」        
妃「何とおいやる」
高「聖駕到りしとは真赤な嘘で御座います」
妃「チヱツチヱツ」
 貴妃平板(古へより酒、人を醉さず、人自ら醉ふ。色、人を迷はさず、人自ら迷ふと、斐力士いづくにある)
 斐「おん前に伺候致して居りまする」
 高は之を見てヱヘンといふような顔付で立つてゐたが軈て去る。貴妃は斐を打ち挑めニツコと笑み、彼を抱へるようにして右側に跪かす。右の食指を以て自ら指し、又斐を指し、而して更に左右の食指を延ばしで打ち合はせ、何か意味ありげな暗示を與へる。
(此合圖は一處に寝ようといふ意味)                                                                                                                                                           
 
                            
 貴妃平板(若し我が意を察し、我が心に合するならば、我は一本を奏して汝の官職を進めん)
斐は笑顔になつて首を打振る
斐「どうも私のカには及びません」
妃「なんとおいやる」                  
「私には胆がありません」
貴妃は斐の側に馳せ寄り、両手でチヤツチヤツと斐の頬を打ち、斐の首をぐるぐると廻して投げ捨てるようにして一歩退く。
貴妃平板(汝我が心を察せず、我が意に従わず、一本を奏して汝を地獄へ遣はし閻魔王に面會させん)
 斐力士退場。高登場。
妃「高力士、いづくにある」
高「へい此處におざります」

貴妃平坂(我が言葉を聴かれよ。若し我が意を察し我が心に從はば、一本を奏して汝の官職を進めん)と前と同じ仕草がある。                            

高「私にはレコが御座いません」
                                                     
                         
と妙な處へ指を指す。そこで妃は高の冠を奪ひ取り、之を色々にもてあそんで、遂にその中に嘔吐を吐き、高に擲げつける。高は之を両手で軽やかに受け取り、一寸匂ひを嗅ひでみて鼻を摘む等、滑稽な仕草あり。高退場
貴妃平板(うツけ者め、我が心に適はず、我が意に從わず、我は一本を奏して汝の官職を剥がん。安祿山いづくにある。思へば祿山、汝、初めて宮中に入りし時、我は如何に汝を遇せしか、我はいかに汝を愛せしか。今日恩を忘れ義に負き玉美人却つて鞦韆の駕上にあり)
 斐高二人宮女二人登場。
斐「ソロソロ闇くなつて參りました。娘娘どうぞお歸り遊ばすやうに」
妃「さらば參らう」
高「お扶け致しませう」
 此時二人の宮女は左右より貴妃の手を肩に掛け、扶け起す。高斐両人又左右より宮女の手を肩に掛け、横列に繋がり、舞ふが如くしづしずと一轉し、下場する。左の唱をうたひつつ。
妃尾聲(いざかいんなん。いざかいんなん。唐の明皇、妾を欺き、この良宵に辜負せり。萬歳爺よ。
妾は獨り淋しく宮に歸へるなり)

「支那風俗 巻中」(井上紅梅著)<日本堂書店・大正十年発行>より 

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2014年2月12日 (水)

支那山寺の精進料理

 支那山寺の精進料理

 ところは浮世離れのしたところで江南の地方は浙江の天童育王と云ふやうな支那四百餘州に冠たる大禪寺に山籠もりをしてゐると、その山僧の数だけでもそれぞれI四五百も居る。

從つてその朝な夕なの精進料理と云つたらたいしたものである、精進料理そのものが立派な研究の積まれてゐて一種の藝術美を発揮してゐると云へる位である。日本の精進料理などとは違ひ純である。

 上海、北京路の功徳林あたりのも結構であるが、何と云つても天童山育王寺の大寺の料理となると材料から調味、出しかた、すべてが純支那式中での純なるものであるから特殊の趣味がある。
 天童育王の料理は大仕掛けであつてその境内「庫裏」と札の打つてある黒ずんだ廣い臺所に入つて見ると大竃にかかつてゐる平釜にしても平鍋にしてもその規模はたいしたものである。

 油葉や豆類、麥の粉に野菜類を胡麻の油で炒つたり、いためたりして料理を拵へてゐるのであるが、その庫裏係り専門の寺僧の料理振りと云つたら目覚ましいものである。その大仕掛けに拵へてやるせいでもあるか油脂などにしても坊間に賣つてゐるそれとは著しく違つて味がよく出来てゐる。

未だに 天童山で寒中寺僧と一緒に戴いた油條の味は忘れられない。かう云つた大仕掛けの山門の庫裏は特別である。

 普通の禪寺にしてもしかしその精進料理は中にはよく研究されてゐる。春の清明節の頃は殊によく調理せられたものが卓上に運れる尼寺の庫裏丈はまだ覗いてゐないが何處にしても山寺の料理は普通の肉を使つた料理に負けぬ丈のものが出来るやうになつてゐる。 無論又酒の貯へも充分にあることは云ふ迄もないこどである。

 山西省天龍山の聖壽寺に山籠りをしてゐた時分にも時折りその自分共の欲しいものを如何にして料理してゐるか。 見學の為め奥の方に這入つて庫裏の内部を視に行つたことがある。 此の山寺は穀物の物置を見ても蓋附きの深い大甍に幾十となく粟その他の穀類の貯蔵がどつさりある。 寺の財産には大分ひろい山がある。 精進料理の材料の豊富なのは當然である。 自分共食事の前には大抵いつもどう云ふ料理を拵へやうかと山僧から、聞かれるので、山寺生活にあやかり見計らつたものをこちらで云ひ附ける。

その入山した初夜の皿の名はかうである。

   吃 飯

 一、白胡麻つきのシャオピン炒餅
 ニ、小米即ち粟の稀飯(粥)
 三、年糕白菜湯

 四、招興酒
 五、福神漬に罐詰の肉
 六、漬物類
その他随便で見計らって寺で食べてゐるものを
と大要かやうな註文である。このうちの五は同行者が携帯して行ったものである。或る晩その臺所へ行つてゐたら廣い所にカンテラ一つつけて二三の寺男の老爺ども平釜で粟の粥を焚いてくれてゐた。 同じ竃の火力を他に今一つ利用して湯をたぎらかし菜つぱを刻んで入れ、年糕の白餅を取り出して用意をしてくれてゐるのを見た。 籠のそばは暖い。 部屋は暗くてもこゝでかうして閑談をしてゐるとよい心持ちになる。 都合では寺男連を相手にカンテラの下に籠を圍んでこのままここで食事でもしたら眞の幽居の生活の気分も味はれて面白いことであらうと思はれたであつた。 やがてしばらくするとすペて出来た。 控門を隔てて祠堂の左手、葡萄棚の前なる自分共の客堂に暖いのが大碗に盛られて運ばれる。 卓上燭をふやし三本ばかり立てゝ邊りを明るくする。 豫め太原城内より用意をして釆た角砂糖を二三粟の粥に入れる。 粥は粘りが強くて角いのが解けにくいのを箸でまぜて溶かしてゐる。 すると空秀老和尚の珍らしげに餘念なく視線を此の角砂糖に注いでゐる様子が蝋燭の明かりに照らされてよく見えてゐる。 幽居の生活を七十年間此の山寺の奥になしつづけてゐる。 和尚の心持はよく讀めてゐる。 そこで角                 
砂糖の三つ四つを罐から摘み出して
 「和尚さん、これは御存じてあらうが甘くて至極便利なものでね」

と云ひつつ與へやうどすると、
和尚もさるもの両手をひろげ大椀の形を作り如何にもニコ~と心から嬉しさうな様子で
 「どうぞ」
 「洵にありがたい結構なもので」
と云つてその手を引込めやうとしない。 罐の内容仝部を頂かしてもらへると考へたものらしい。更に二三十箇を與へてやつた。 千年前の山中生活に今どきの角砂糖など珍らしく空前のものと見えたのも無理はない。老爺の曰く
 「これ丈頂いてゐると数箇月は楽しめますわい。滅多に見たことのないもので」
と悦に入つてゐたのは何よりの愛嬌であり又それが自分共の御馳走にもなつたわけである。

(後藤朝太郎著「支那風俗の話]<昭和二年発行・大阪屋號書店>より)

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