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2013年12月 7日 (土)

支那占い師の社会政策的商法

 支那の賣卜師のところを訪ねて運命なり・長壽なりをうらなつてもらふといふ時に支那の賣卜師は筮竹を以て或は算木を以つて勿體振り種々の算命法をやつてみせる。

 早く云へばこは皆芝居である。意味ありげな饒舌を弄してゐるが最後にその料金を支拂はせらるるときになつて、そこに頗る面白い場面を見出すのである。
 と云ふのはたとひ占ひの上で如何なる事柄を判断してもらふともその事件の内容乃至はこれに要した時間の長短などは問題としないのである。普通は二十銭から三十銭の程度の料金を一回毎に申受けてゐる。

 ところがどうかすると稀には二元三元といふ飛びぬけた料金を請求せられてゐることがある。自分は度々斯様なひどい目にあつてゐる人を傍で見て気の毒に感じたことがある。
 けれ共吾人に無関心のことであるから格別気にするほどのこともなくそれと見てゐたのであつた。
 最近に至つて自分は南北各地方の賣卜帥のその心の奥底が読めた。そは同じ運勢を見て貰つたり又将来を占つてもらつたりしてゐる客にしてもその普通の面相の持主ならば三十銭どまりで大抵我慢をして呉れるのである。

 ところが如何にも頭の恰好がよく耳の長く垂れてゐるとか或は眼尻の下つてゐるとか、又頸の太くて短かい形とか顎の二重になつてゐる形とかつまりその客が見るからに不老長寿の面相の持主であるときはその事件や時間に関係なくあとで吹きかけらるゝ鑑定料の申出がいきなり三元と来るのである。

 稀にはその申分のない理想的の面相をしてゐる人であると見込まれたが最後十元くらゐの料金は少くともせしめらるるのである。

 曰く、閣下の相貌は天下無比の長寿の相を具備せられ、よい星の下に生れ合はせて御座る。ここ一年以内には必ず吉事が来たり御慶事に會はるることである。又御家は益々繁昌して家運はめきめき昇り閣下は所謂南山の壽を全ふせられる譯になつてゐる。そはちやんとこの通り算木の上に現はれてゐる云々といふやうに来る。そして實に下へも置かぬ持てなし振りで巧言令色の限りを盡すのである。
 かやうに褒められてみると客は之を以つて天の命するところとして之を重く見るのである。
決して悪い気持ちはしないものと見える。そして次から次へとほとばしり出る言葉は言々句々皆気に入るのであるから本人は益々悦に入つてしまふ。客はそこでシーシー(是々)と云つて心の中一パイ如何にも嬉しくなつて来る。そしてこの賣卜師こそは大いに話せるわいと惚れ込むのである。

 うまく掌中に弄ばれてゐることとは知らず、後でうんと絞られることにも気付かず嬉しさの餘り色々のことを見て貰ふ。大きな肴のかかつた網の持主なる賣卜師こそは得たりかしこしと之を丸めて物にする。結局最後の幕は十元からの料金にしてしまふ。

 客の方では悪い気持でゐないばかりか、この先生のためならばと油が乗り、乗り気になつてゐるところであるから二つ返事で大金を手渡しするに至るのである。

 自分は或る卜筮師からその間の消息をすつかり包まず匿くさず物語つて教へて貰つたことがある。實に長壽の人相を有する人こそ迷惑至極のわけであるが然し人間といふものは褒められるとなると褒められる程投げ出して来るものである。海山千年の商賣人は百もこの間の消息はわきまへてゐてそのうは手を行く。實にどうも物凄い腕である。人を釣
ることにかけては堂に入つたものである。長壽の相をそなへた諸君はこの點に於て少しく御注意あったらよからうと思ふ。

 普通專門家の間では壽相のものにはその當たりまへの客の十倍を請求するのが相場となつてゐると云はれてゐる。思ふに又事實壽相をそなへてゐる人は多くは金持である。
 社會政策の意味からでもあるか貧相なものには僅かばかりを要求し多く持つてゐるものにはどつさり要求するといふことは無言の中に自ら社會政策の精紳が行はれつゝあることゝ思はれるのである。
 
(後藤朝太郎著「支那長生秘術」<昭和四年発行>より)

 

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