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2013年11月20日 (水)

北風が運ぶ思い出=パンとウオッカとカルパス=森繁久弥

北風がはこぶ思い出

=パンとウオッカとカルパス=

森繁久弥

 

街にジングルベルのメロディが流れ、冷たい北風に思わずオーバーの襟を立てる頃になるときまって記憶に甦ってくる一つの思い出があります。

 

直径三尺のパン 

 

それは十五年程前、私が新京(現在の長春)の放送局に居た頃の事です。 灰色の雲が空を覆い、厚い防寒服を通して大陸の寒風が身にしみるような冬のある日、録音をとる為に一行七人はハルピンを通って牡丹江に向かいました。 ハルピンは御承知のようにエミグラントと呼ばれる白系ロシア人が沢山住んでいるところです。

 汽車がハルピンを過ぎてある小駅に停まった時、私達の前に四十歳位でしょうか、赤ら顔の好人物らしいロシア人の夫婦が乗ってまいりました。

 丁度、お昼を過ぎた頃でそろそろお腹もすいてきたので私達は持参した折詰を開きました。 およそ冬の冷えてしまった折詰の弁当というものは寒々として、あまりいただけたものではありません。 魚は小さくちぢこまり、肉は油が白く浮き出て固まっており、梅干の赤さだけがヤケに目にしみるといったものです。

 ところで私達が箸を動かし始めると前のロシア人夫婦もこちらのお弁当に刺激されたのかご飯を食べるような模様になってまいりました。 汽車に乗ってきた時大きなバスケットを三つもっておりましたが親爺さんがその一つを網棚から下ろすと、中からナフキンを取り出し、お内儀さんの膝の上に敷き、更にこんな時の為に特別に作ったと思われる板を置くのです。 おやおやと内心驚いていると、その上に次々と並べられる御馳走が凄いのです。 実際、それは私達が普通考えている車中の食事とは大分かけ離れたもので正に「凄い」といってもいいものでした。 大きなウオッカの瓶、大小とりまぜたカルパス=カルパスというのは日本でいうソーセージの事ですが=つやつやと光った赤大根、キャベツの葉が五六枚、更に古風な容器に食塩まで用意されているのです。 そして最後にお供え餅ほどもあるパンが出ました。 ロシアのパンの大きなのは直径が三尺ほどもあるのですから、お供え餅ぐらいあっても驚くことはないのですが・・・・・

 

早飯・立喰・・・・・・・

 

 日本ではパンを食べるようになってから日が浅いせいもあり、まわりの薄茶色に焼けた部分を単に固いという理由だけでパンのヘタなどと言って嫌う人が多く、甚だしきに至っては捨ててしまう人もあるようです。 サンドイッチをつくる時も中の柔らかい部分だけを使い、まわりの一番おいしいところをかえりみない向きが多いようですが、全く、勿体ないというより他ありません。 パンを常食している外国人にはこうした事は考えられない事で、むしろ、中の柔らかいところより珍重して居ります。 ロシアのパンなど特に冬は乾燥が激しいので非常に根気よく焼かないと中身が乾燥してボロボロにくずれてしまいますのでこのヘタが一寸近くもあります。

 さて、ロシア人夫婦のこの御馳走を前にして、早々に折詰を仕舞い込むと、後は失敬な奴だと思われないよう注意しながらも細かな観察を怠りませんでした。

 親爺さんはコップにウオッカをなみなみと注ぎグイッと一息に飲み干すと大きな包丁で丁度リンゴの皮をむくようにしてカルパスを切るのです。 そして半分ずつポクポクと美味しそうに食べて居りました。 パンもカルパスと同じような手つきで削りとるとバターをたっぷりと塗って口に運ぶと、唇を閉じてゆっくり噛みしめて味わっている様子です。 二人はこうして、窓外の景色に時々目をやりながら、ウオッカを飲み、パンをかじり、赤大根に塩をふりかけてパリパリと食べます。

 日本人の食生活には早飯とか、立喰いとかいってとかく食べる事をいやしむ風潮がありますが、このロシア人夫婦の食事の様子からも彼等がいかに『食べる』ことをエンジョイしているかが滲み出ているような印象を受けました。

 

一番うまかったパン

 

 私達も、牡丹江に着きますと、早速ロシア人の食料品店を訪れパンやミルクを求め、ロシア人に負けないような夕食を始めました。 カルパスを大いに食べた事は云う迄もありません。 ボルシチューといって、丸ごとの馬鈴薯や人参と紐でしばった肉の塊りを一しょに鍋に入れ葡萄酒をたっぷり加えグツグツ煮たものもロシア人の小母さんがサービスしてくれました。

 二重窓の外では、身を切るような朔北の寒風が吹き荒れております。 家の中ではペチカがもえ、おだやかな雰囲気がただよいボルシチューの鍋はあたたかな湯気を立てて居ります。

 こうなると矢張り薄い、さむざむとした折詰では気分が出ません。 私達はパンやカルパスを大いに食べ、ミルクを飲み、ウオッカのグラスを重ねて、満ち足りたおもいに夜の更けるのを忘れ、大いに語ったものです。

 これは私が今までに一番おいしくパンを食べた時の話です。

 

(昭和31年か32年の「週刊新潮」某月某日号75ページ<PR>所載)

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