« 選に漏れた男独りか長男の特攻隊志願者 | トップページ | 「東京物語」、世界の358人の映画監督が選ぶベスト映画の1位に »

2013年6月16日 (日)

大陸の人々の面子<ミエンツ>(中国を愛す)

南京から棲霞山に行くとき、大平門を出ようとしたら、その頃丁度、蒋介石と閻、馮聯合軍との抗争最中で、南京も戒厳令を布かれて居る様な有様で、城門が憲兵と巡査で固められ、出入のものは厳しく調べられて居た。
 私の荷物も調べると云ふから、私は日本人だと云ふと、日本人でも中国人でも同じこと
だと云ふ。私は静かに杭州の日本○○だと云ふことを話して、私の身分を明にした名刺を
出したら、憲兵はそれを受け取って暫く眺めて居たが、調べなくてもよいと云ふて手を
引いた。が、一所に立合って居た片一方の巡査がなほしつこく調べると云ふ。私も少しむっとした。 
「身分が分かったらそれでいいじゃないか。国際間の禮義と云ふことも少しは考えることだ。
 それはお互いのことだ。わからない中はともかくも、身分が分かったらそれでいいじゃないか」
 「いけない。日本人でも中国人でも○○でも誰でも同じことだ皆平等だ。開け」
「よろしい、開くことはわけのないことだ。が、はばかりながら俺れも一国の代表者だ。
 この俺れの面子<ミェンツ>を何うして呉れる」
 私は私の右手の人さし指で私の顔を指さしながらキッ云ふてその巡査の返答を待った。
 「・・・・・」
 巡査はグッと詰まって物も云へないで居た。
 側で聞いていた一方の憲兵は、この警察の者は自分の方と所属が違ふから、この警察の方にも名刺をやってくれと静かに私に注意して呉れた。

 私は名刺を出した。巡査はその名刺を受け取って黙って引っ込んだ。
 おれの面子を何うして呉れるかと詰められて、巡査がグツとつまつたのだが、考へて見
                                                                                                                                
ると、それよりも先きに、同じく職を奉じて居ながら、憲兵だけ名刺を貰つて自分が貰は
なかつたので、その巡査の面子もつまつて居たのだ。その面子のつまりが、無理にはけ口
を求めて執拗に荷物を開けと出たのだ。自分の面子をなかなか大事にするが、それと同時
に人の面子をもよく重んずる。おれの面子を何うして呉れるかと私からつきつめられて、
それをもし押しきつて、貴様の面子なんか何うでもいいから開け、と無理に云ひきらない
ところ、まことに面子国の国民らしくて面白いと思ふた。

 又あるとき、私が杭州から上海に行く汽車中の話。
  私の前に、一人の色の黒い頑丈な中年の支那人が乗つて居た。平服を着て居たけれども 一見して軍人と見られた。
 この鐡道で何時もやつて居る様に、車掌が憲兵四五人を後に従へて、切符検査にやつて来た。その支那人は何々司令部と書いた護照を出して見せた。無論切符は持つて居なかつた。車掌は憲兵にこの男のことを任して先へ行つた。
『三等へ行け』
『何故だ』
『ここは一等だ』                           
『一等だつて同じことぢやないか』
『ここは切符持つて居るものだけ乗ることになつて居る』
『護照があるよ』
『だかち三等へ行けつて云ふんだ』
『行かないよ』
『出て行け』
『出ていけたあなんだ。みんな行ったたらおれも行く、おれ一人なら金輪際行かない』
『お前は何處の所属だ』
                                                                                                                          I
『貴様こそ何んだ』
『おれは憲兵だ』
 憲兵六人ぐるりとその平服の軍人を囲んだ。バンドの後ろの方に廻つて居た拳銃を
前の方へ寄せた。そうして出ていかないかと迫った。それでも、その平服の軍人は意地張つて席を立たなかった。平服のなかにはやはりこれも拳銃を持って居るらしかつた。
 車中の座席に居た澤山の人々が寄り集まって来た。 私はその平服の軍人と向かひ合って座ったまま腕を組んでだまって見て居た。                 
 六人の憲兵の中の一人が、そのときまで黙って居たその一人が同僚の間から抜け出て、その軍人の側に寄って、軽く肩をたたいて静かに云った。
『どうだ、あっちの方に席があるが来て呉れないか』
 平服の軍人は突然活発に云ふた。
『對了ー。そうだ。それなら話はわかる。向ふに席があるから来て呉れと云ふなら行かう。
出て行けって云ったらおれは金輪際動かないのだ』
                                                    
 あたりの誰にも彼にも明瞭にわかる様に声高々と云ふた。
                                                                                                                                                                                  
 そうだ。衆人満座のなかで出て行けと云はれて出て行つたんでは、この軍人の面子がな
いのだ。招かれてなら行ってやる。たとへそれは三等であつても何處であっても。
 その軍人は悠々と出て行つた。まわりに集まつて居た澤山の人々も誰一人何とも云はな
                                                                                                   

                                                                               
かつた。あざけりの眼を投げるものなどは一人もなかつた。みんなでその軍人の面子を
立ててやった。
 要するに面子<ミエンツ>だ。
 日支事件円満解決のコツも要するにこの面子だ。

(入澤達吉編「支那叢話」<三笠書房刊・昭和十三年発行戦時版>所載)

|

« 選に漏れた男独りか長男の特攻隊志願者 | トップページ | 「東京物語」、世界の358人の映画監督が選ぶベスト映画の1位に »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127429/57606721

この記事へのトラックバック一覧です: 大陸の人々の面子<ミエンツ>(中国を愛す):

« 選に漏れた男独りか長男の特攻隊志願者 | トップページ | 「東京物語」、世界の358人の映画監督が選ぶベスト映画の1位に »