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2013年4月 7日 (日)

雪中月牙池雅宴の好印象<中国を愛す>

 紹興旅館は『仕官行䑓』と自ら大官御用宿を以って任じ、気位高くきめ込んでいる位だから、体裁、設備、部屋、客庁、番頭、夥計(ボーイ)すべて気がきいていることは無論だし、そのシステムも悪くない。

 田舎城内の宿としては指折りに数えても少しも恥ずかしくない。 部屋は広い二人部屋であって、寝台、卓、椅子も結構であり、電燈も明るいのが點いている、客庁には大きい置時計、壁に對聯、鐡畫の四君子、蘭、菊、梅、竹。 左右に十景椅子、中央には仙菓と到れり盡せりである。 

 而かも房金、小賑、被褥、電燈、茶房すっかりで『貴衆同伴貮位住貮天』と、つまり張君の分をこめふたり二日で、たった洋貮元捌角四分、これは銀のターヤン大洋二元四角だから日本金の三円そこそこにしかあたらぬ。 もとより料理は別であるが、兎も角中国の田舎宿ではこの辺が上乗の部である。

 しかし中国宿につきものの羈旅の感とか商女は不知、亡国の恨といった様な哀れっぽい情緒のここに見出だされないせいでもあるが、どういう訳か余りきちんとした仕官行䑓は田舎らしき風情を味わう上から少々物足りなく思われたのであった。

 けれども蘭亭帰りのその日は幸いに張君の友人の既に留守中から来て待っているのがあり、その君が即吟七絶の詩を草して見せるとか城内の有志がたずねて見えるとかで親しみの気分は旅社にみなぎり相当面白くまた忙しくもあった。 

 そこへ以前船中で懇意になっていた青年平徳福というが先約によって車で迎えに見えた。

 平先生

 「小盧は紹興城内は月牙池であるが今宵うちの老父が心ばかりの小宴を開き御一緒に趣味文字談を語りたいといっているから是非今からどうぞ」

 「実は正式に紅紙の招待状を何する筈でしたけれども何分急な思い立ちのことで・・・・・」

 と心持ちのよく読めた好意に張君同伴、からだを任せて月牙池へと案内される。

 ところが城内運河、大小水路の縦横無尽、それに架せられた旗橋のおおいこと、おおいこと。 ものの一二町も舗石の狭い路を曳かれていったかと思うと降ろされる、降ろされたかと思うとまた乗せられる。 石の段々を高く上がって行くのでとても車が曳けないのである。 

 運河からいえば舟行に便ずるためアーチの旗橋にしなくてはならず、路行く人からいえば不便厄介はこの上もない。 南方中国はそれだから小舟で動くに限ると胸のうちでは切にそう思っていた。 或いはまた轎子かなどとも考えていたが、平君の手前理窟を今列べる時でもない。

 壁高く聳えたる門扉を入り部屋にいきなり通される。 家廟に祀る祖先ふたりの紅衣と黒衣の肖像が大幅にして正面に高く掲げられている。 色々の供え物に貢燭花屏などいうも更なり、づつと上には墓表の拓本まで神々しく寶蔵されている。

 やがて厳父、母堂お揃いで席に見えられ、徳福君を間に入れてねんごろなる挨拶のあった後、紹興の古老として追旧談やら古書畫に関する趣味談があり、近代人の畫幅三四十點の展覧さえ催され、水墨を特に愛賞せらるる風流韻事の閑話など殆ど尽くる所なく、そのうちに湖筆徽墨臨池の餘技も始まった。

 興に乗じ翁の趣味に感じ今では何をものしたか覚えてもいないが、兎も角その日ひるは蘭亭曲水の清游に浸り、宵はこの清宴を名前も懐かしい月牙池の鶴荘に催されたこととて『奈斯良夜何』と計り古篆か何かでその快感印象の或部分をせめてもの記念にとて蘭亭のほとりに紹興月牙池にわが恥を残しておいた次第である。

 田舎の昔ながらの中国住宅のこととて、部屋には別に暖房の設備などはない。 家人何づれもただその羊毛の筒袖の長きを拱手しているだけで、それで何等冷を覚えることもないらしい。 これは北京、北中国方面も江南のこのほとりも変りはないのであるが、自分はどこにいってもいつも脚爐をもとめて僅かにこれで凌ぐ習いである。 この日の寒さにも之を求めていたのであるが、老爺の君のその脚爐一つだに必要としていないらしかったのは啻に油っこい料理からくる勢力ばかりでもあるまいと思われたのであった。

 異境に翰墨の清談に耽っているといつ尽きるとも、時を知らない。 そのうちに夜もふけ、月牙池の戸外墻界、雪は紛々紹興城内橋上白皚々裡に埋められた景趣の中をおくられて宿に帰って来た時は、さすが仕官行䑓の門前街頭家もすべてこれ銀號をつらねたるかの如く電燈に照らされて誠に美観を呈していたのであった。

 かくて紹興の情緒はその蘭亭行といい、また月牙池の雪中脚爐の印象といい、過ぎにし春の清游の思い出はなつかしさにたえられないところがある。 今も尚平先生との消息は絶えないのである。

(後藤朝太郎著「支那游記」<昭和二年発行>より)

 

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