« 中国俗間に見る財神信仰<中国を愛す> | トップページ | 銭塘の煙波江上老農の道連れ<中国を愛す> »

2013年3月10日 (日)

旧時中国における兵隊と戦争の実相<中国を愛す>

 中国の世相に見る動乱騒ぎといえば、全く民国の名物の一つのようにも、見られているほどであるが、然し中国の兵隊そのものは、一人として国家から徴せられているものではなく、いづれも皆傭兵として雇われているもののみである。 いわば一種の被傭人で、その兵隊募集の掲示を見つけて、これに駆けつけ応募した人間に過ぎないのである。

 その田舎の農村、運河の船着き場あたりで、ごろごろしていたりするよりか、兵隊にでも応募して隊にはいっている方が、何ぼか懐の都合もよいと思っている者、又は失業者で困っている手合いどもが駅前とか、城門とかに掲げられた広告を見て、その文字こそは読めないにしても、近所の朋友が兵隊に応募するのを聞き、又それに死ぬるときまっている訳でもないから、自分もまず遊んでいるよりかよかろう位のところで、馳せ参じてきたものである。

 まず大抵はこの辺が本当の兵隊になる始めの動機なのである。 決して国家のためとか、君のためにとか、又軍備拡張のためにとかいう八釜しい考えからなっているのではない。 かかるものは一人もないといって差支えないのである。 

 募集する方のものの考えにしたところで、まず本部で人夫でも募るようなつもりで、月給六ドル、戦時手当五割、年齢十三歳から四十歳まで、希望のものは、至急最寄りの衛門まで届出でらるべし、といったポスターをだすだけのことで、それで十分である。

 万事国家本位でなく、社会本位に出来ている中国のことであるから、兵隊そのものも始めから国防本位の兵隊でなく、それで少しも構わない。 唯その主人公総司令その人の護衛兵たるに過ぎないので沢山である。 しかもそれと同時に、世の貧者失業者の救済せらるるとの目的が達せられているなら、それでよろしいという訳なのである。

 奉直戦争の真っ最中、北京市内城南公園でぶつかった珍無類の一場景。

 ぶらり散歩に出かけた私が、園内の一ベンチに腰かけて休んでいると、これまたぶらりとやって来たのは、鼠色の軍服を無様に纏うた二人の中国兵だ。 此方が中国服姿なものだから、先方では何の気も置かなかったらしい。 いきなり私と背中合わせのベンチに腰を卸して、頗る睦まじそうに話し始めた。

 所で後で気のついた事だが、この二人は、一人は奉天軍の服、又他の一人は直隷軍の服をつけていた。 そうすると彼等は、今正に干戈を交えている敵味方同志の訳だ。 それがこんなにしている所を見ると、大方両人は昔の友達か何かなのだろう。 兎も角も二人の会話が私の耳を打った。

「そいで、お前の方では月に幾ら寄越すんだい?」

「六弗くれるよ。 但し被服は別だぜ」

「へーえ、そいつは莫大にぼろいね。 驚いたなどうも。 俺lンチの方じゃァお前、たった四弗なんだぜ。 おまけに服は各自自弁と来てやがらァ。 嫌lンなったな俺ァ」

「ふーン、そ、それァ酷えや。 だがまァお前、そう悲観したもんでもないよ。 お互いまともでいちゃァ月一弗の稼ぎだって出来やしねえ。 それが斯うしてフラフラしてれァ、兎も角も月、四弗五弗の銭が天降って来るんだからね。 全くお互いにとっては打仗(ターチャン=戦争)様々だよ」

日本でいえば差し向き、会社の下っ端か小使辺りが、茶飲み序に持ち出す給料の愚痴話。 それを今正に打ち物を交えて、命の遣り取りをしてる敵味方同志が、斯くも悠然として語り合って居るのである。 私は思わず微笑させられた。

 全く中国人の戦争に対する概念は、日本人などとは根本的に違っている。 彼等にとっては、戦争は何処までも一つの大きな社会的の芝居か、乃至は劇に仕組まれた筋書ぐらいでしかあり得ないのだ。 むきになっているのは、戦争を起こした中国の当事者だけで、一般国民や平の兵卒は、見物気分でそれに対しているに過ぎないのである。

然らば、戦争に対して「何が中国人をそうさせたか?」 或人は、これを伝統的な中国の国民性に依ると説明する。 悠長気長、一口に云えば、万人に対して呑気極まる彼等の通有性が、然うせしめるのだという。 だが我々は、そういう唯心的な見解を立てる前に、先ず中国国民を包む環境に観察の目を注ぐべきである。

 涯<はて>知れぬ茫大な領域内に、四億に余る民を擁する中国は、日本などと違って、一国民が打って一丸となって事に当たるなどという、真の国家的事件に遭遇した事は殆どなかった。

 「義重萬岳。 死軽鴻毛」とか、「一死以報国」とか、文字の上でこそ、麗々しく唱えられたが、事実国家的にそれが実現された事は、古代は兎もあれ、近世中国では殆ど見当たらない。 戦いといえば常に内乱である。 飽き飽きする程の国内の動乱である。 

 殊に清朝の仆<たお>れて以来、最近の二十年間というものは、各地に割拠した軍閥の巨頭共が、殆どのべつ幕なしに争いを続けたので、中国国民の戦争に対する態度は、「又か」という嫌悪、乃至は対岸の火災視的の無関心となり了ってしまった。 

 そこへ以って来て中国は、元来国民皆兵主義でも、徴兵令の布かれている国でもない。 だから戦争が始まるとなると、一般から募集して兵隊を拵えるのが習いだ。 募集して雇う上は、勿論給料が出なければならぬ筈である。 給料が出るとなると、何処も同じ食えない人種が、きっとゾロゾロ集まって来る。 集まれば集まっただけ、別段試験をするでもなく、一夜づけに編成したのが、即ち中国の兵隊である。 

 云って見れば掻き寄せ乱造の豼貅<ひきゅう>だ。 斯うした連中に対して、戦争に熱を持てというは、言う方が無理な話である。 彼等は唯、食えるから兵隊になったのである。 戦争の有る無しなどは、頭から問題でもない。 手当さえ毎月取れればそれでよいのだ。

 こんな次第であって見れば、現在干戈を交えている敵味方が、のんべんと手を組み合って給料の愚痴を並べる珍場景の現れるのも、蓋し無理からぬ事であり、且又中国の戦争といえば、大方が宣伝戦、誘惑戦、密偵戦であって、死者や負傷者を出す正面の衝突戦に、容易に移らない理由も、瞭然と頷けるであろう。

 要するに中国では、兵隊になるという事は、失職者がパンを得る道であり、戦争という事は失業苦を緩和さす事件なのだ。 所変れば品変るというが、厳粛森厳なるべき戦争沙汰が、社会全局面から見て、立派な社会政策に拠った失業救済事業となっている事は、蓋し中国だけに見られる現象であろう。

さて以上は、一般国民や平の兵卒の戦争に対する態度であるが、今度は、戦を始める当事者たちの戦争観はどうか? 一言にいえば、それは商取引、投機事業以外の何物でもない。 尤もこれは国民一般にも押し擴められる戦争観で、「戦争のどさくさには屹度一儲け出来る]というのは、中国民衆の誰もが持っている考えである。 

 往年張作霖に寝返った郭松齢の首に、二十万元の懸賞がついたなどという事は、その好い例だ。 何処の誰でも構わない。 唯問題の首さえ持って行けば、それで忽ち一攫千金の夢が実現するのだから、「戦争はぼろい」と考える様になるのは、誠に無理もない話だ。 「上の好む所、下これに倣う」というが、中国の戦争程、この言葉に良く当嵌まる例はない。

 元々何の大義名分も翳す事なく、唯投機の一点張りで、当事者達が始めた戦争である。 その下の幕僚達も、頭から戦争など超越して、儲けにさえなれば、どっちへでも寝返りを打つ。 形勢観望、洞ヶ峠は彼等の常套手段だ、だからそこへ暗中飛躍の策士が横行する。 これも同じく我が利の為に動くのは、今更いう迄もない。

 策士が横行すると宣伝と流言飛語が必ず生まれる。 流言飛語が生まれると、本元の当事者の真意は、果たして那辺にあるのか猶更分からなくなる。 一切が混沌、一切がどさくさ。 戦いの火蓋が切られたと思うと、もう既に休戦の条約が交わされているなどという例は、中国の戦争では常任のことなのである。

 それというのが即ち、戦を始める手合が、上から下まで総て、其の戦に依て何程かの得分にありつこうと企んでいるからなのである。

 駆け引き、又駆け引き、その一切が取引的、投機的企みに終始している珍無類な戦争、それこそ中国独特の戦いなのであるが、我々はそれを唯可笑しいと笑う前に、先ず深く「何が中国をしてそうさせたか?」を熟考すべきではあるまいか。

(後藤朝太郎著「隣邦支那」<昭和十二年発行>より)

|

« 中国俗間に見る財神信仰<中国を愛す> | トップページ | 銭塘の煙波江上老農の道連れ<中国を愛す> »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127429/56930022

この記事へのトラックバック一覧です: 旧時中国における兵隊と戦争の実相<中国を愛す>:

« 中国俗間に見る財神信仰<中国を愛す> | トップページ | 銭塘の煙波江上老農の道連れ<中国を愛す> »