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2013年3月13日 (水)

銭塘の煙波江上老農の道連れ<中国を愛す>

 宋代の建立にかかる杭州西湖の呼びもの、雷峰塔の塔影は民国十三年九月二十五日の正午をかぎりとしてとこしえに崩壊した。 折りも折り盧永祥対斉燓元、孫傳芳の戦争の真最中脆くも崩壊の運命にあったものと見えて偶然にも崩れ落ちたのである。

 湖上扁舟に掉す雅客風人の心は三潭印月の左方幽かにこの遺塔遠影のためにどれ位引かされていたことか判らぬが、最早永久に雷峰塔の俤は見られなくなった。 日客の西湖観光もこの古塔の情趣によって清遊の心を深刻にそそられていたのであるが、今となっては唯その対岸の空に、高く細く尖れる保叔塔の孤影を寂しく打ちながむるの外はない。 ありし昔の歴史を物語る遺跡遺物はかくの如くにして現実の中国から夢の如くほろびゆくのである。

 江蘇浙江幾百里と打ちつづく春の菜たねの花に色どられた平野の真ん中を行く間にも時折りかかる雷峰塔を弔う気分おさえ難く、葛嶺、天竺、呉山の諸峰をあとに浙江閘口の手前、南星橋まで火車で来た。 候潮の題字あざやかなる杭州城門を外に出ると車站につく。  銭塘江の義渡はここにある。

 銭塘江岸は汀から四五町も遠浅がつづいているので厚板を渡したせまい仮橋の上をゆられながら足許徐々に一人々々渡って行くのである。 すると義渡の渡船が二三十艘も軸艪相銜んで江心に並んでいる。 向うの対岸、遠きあなたから黒煙を天にあげた小蒸気が先になって二三ばいをあとに曳いて来るのが見える。

 自分は早くもこちらでこの曳かれる民船の窓ぎわ近く見透しのきく所に座を占めて、船頭遥かに銭塘の濁流を悠々と去来する民船の景趣や、右岸遠く仰ぎ見らるる呉山の景観に六和塔の雄景など雲煙裏に打ちながめ十年以来思い出多きこの地方の山水風物に恍惚として見とれていた。

 そのうち、やがて船は満員となり小蒸気の汽笛を合図におもむろに小仮桟橋から離れて江心へと出た。 漫々たる煙波江上、順風暖かに面を吹いて両岸の潤色は深きを加え、いかにもよく浙江気分を現わしている江水は古の呉の国を東へ流れているのであるが、南越に渡る行客もまじっている。 全く文字通りの呉越同舟とはこれであると思って不図乗り合いの面々の風貌を見渡して見る。

 見渡したところ二三十人の同舟者は農夫らしいものが多かった。 自分と膝を差し向かいの目尻のさがった老農を相手に自分はその娘の子の衣装の色や装飾のことなどの話に余念がなかった。 呉越同舟のお蔭で自分は子供の話から老農と十年の知己のように懇意となり、銭塘の対岸に渡船が着いてからも老農は旅行者としての自分を大層いたわってくれた。 途中いろいろの話をしながら春風駘蕩の田舎道を茶亭から茶亭への、行き来の繁き光景の中に同行するわれわれ二人もいつか画中の人となってしまう。

 元来この道は自分が昨年も二度あるいた田舎街道で、勝手も路程もよく分っている。 昨年は沈君という田舎青年を道づれにしたが、今年はまた老農の好伴侶を獲たわけだ。 古老だけに土俗の話を聞くには持ってこいである。 その途中で出くわす里人村翁との挨拶振りに手籠の中の買物の値段の問答までが罪のない大道農夫の談柄として面白い。 別段いそぐ旅ではなし翁の浙江鴃舌の方言が聞きとれぬ時は空の雲雀の囀る音でも賞していればよいので義渡の船が縁で誠によいつれを得たわけであった。

 浙江銭塘江以南の水路運河は西星を基点としてあらゆる方面へ細かく通じている。 自分は東方寧波方面に再遊を試みるのであるから会稽山の東、紹興、曹娥に水路を取ればよろしい。 

 道づれになった老農は、自分の孫の面倒でも見るように、その運河の河畔にたたずみ或いは漕ぎ来たる小舟の方を見たり路上の行人に話しかけたりして水陸両方面の気のくばりかた一と通りではなかった。

 やがて同じ年恰好の丸顔の百姓のかみさんらしいのが二人、手ごろの小さい行李を人夫に担がせ、足は小さく蓮歩ヨチヨチではあるが陽気そうな話しぶりでこちらに通りかかるのを見た。 老農は一つ話しかけて見ましょうと、いうが速いか。

「あなたさん達は蕭山の方へ下らるるのとちがいますか。」

 すると、かみさんだち碑楼の壁の前に立ちどまり、心易げな愛嬌を見せて、答えるに、

「そうですよ、蕭山の田舎へ下ります。」

「デハ、一つわれわれも同じ方に行くのだが四人で舟ではいかがでしょう、日本から遊歴客もここにいられますので。」

 とありのままにいう。 話は快くまとまったのでこんどは舟だ。 いくつとなく運河を続いて下る小舟との談判である。 いくら話しかけても来る舟、来る舟、何づれも皆約束済みか又は違った外の方へ向う舟ばかりである。  丁度よい手頃の小舟が来たと思うとそれは人のハウスボートであって勝手にはまいらぬ舟である。 

 根気よくも老爺は岸から例の黄色い声して舟さえ見れば言葉をかけ船頭と問答をしていたが、遂にうまく一艘を呼びあてた。 そして談判大いにつとめてくれて、結局のところ、蕭山まで五里路を四十銭で行こうということに話しがきまった。 中国では各地に洋人価格といってよく外人には倍に吹きかける習慣があるが、このような田舎では外人を殆ど見たこともない。 従って総ていう通りになっていても間ちがいはない。

 百姓のかみさん達は荷物かつぎの人夫と手を切ってこちらの仲間になり「お先に」とばかり岸の石を押さえ足もと軽く岸から小舟に飛び乗った。 つづいてわれわれ二人も靴をぬぎせまい船内に入り苫の下に足をのばし楽々と座を占めたところが四人で一パイになった。

 二人づつさし向かいであるから、とかく傾きやすい舟であるが、船底は水平をたもち、船頭の艪の音やさしく或いは古色蒼然たる石橋の下、または両岸楊柳の間、民家の櫛比せる裏壁の広告文字の下などを漕いで行く。 船内では尻あがりの浙江なまりで、いかにも百姓らしい田舎のまつりの話しに買い物などの話しが始まる。

 城外に出ると運河の両岸一時にパッと開き天空開豁のあかるみをあびた乾隆道光あたりの碑楼の列が高く眺められる岸の叢、清い水汀のあたりから小鳥が二三飛び出し楊樹の陰に消えて行く。 行きちがう運河の船の客には百姓らしくない相当の身なりのものも見当たる。 自家用の船ででもあるか彩色を施した美しいのが橋のたもとに静かに泛んでいる。 実に平和な江上の景趣で日本の画家にも見せたい佳郷である

こうした平和な水郷の情趣に浸りつつ楊樹の新緑の下を漕ぎ行くこと一時間余。 再び舟は城内らしきにぎやかな運河に奥深く漕ぎ入った。 例の裏壁高く両岸にそびえ宏壮な白亜の大壁に窓一つなくこれに「當」の字たった一字だけが十二三尺の輪郭に書かれている。 金持ちの質屋の看板とうなづかれる。

 また「山珍海味」の大字の黒書、これは乾物屋と読まれる。 裏口の石段水際におりて洗い物せる家人のうちの壁にはこれも大字にて「染坊」とある。 染物悉皆屋たることがわかる。 また手斧の音するうちに「水木両作」とあるこれは大工左官兼業の店である。 これで見るとかなりな町であらねばならぬ。 昨春城内の陸の方から見ていた蕭山の城内はこれだ。

 さすがこの辺での大きな町であると思って見ているうち巍巍乎といっては誇張過ぎるが右方に当たってかなり高い白亜の壁に楷書で「浙江第一旅館」と読まれた所に我が舟は横着けされた。 老農は到了という。 

 それではと船頭に勘定しようとしてもどうしてもさせない。 三人はまだ先が遠い。 さき長く乗るのだから決して御心配などは・・・・・と二人のかみさんまでが一生懸命。 そして一路平安をと心から祈ってくれて石段に上って見送ろうとする。 その小さい足に対しても恐れ入る訳である。

 一時同船しただけでさえこれ程の縁だ、況して銭塘以来舟に陸に行を共にした老農は盡きぬ名残とてわざわざその老躯をひっさげて石段を上り旅館の賑房のところまで自分を案内し且ねんごろに番頭や館主に自分を紹介してここは浙江第一の旅館なればと第一室に室を取り極めたところまで見届け別れを告げていった。 この美しい純樸の印象は永久に自分の頭から去らないことであろう。

(後藤朝太郎著「支那游記」<昭和二年発行>より)

 

 

 

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