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2013年3月27日 (水)

浙江省錦江江畔茶亭の情緒<中国を愛す>

 寧波に遊歴を試みんとするものはなるたけ中国式に田舎の情緒を味わいつつ行くに越したことはない。 上海から一夜で三千トン級の汽船でいってしまうのは余りに没趣味である。 特にそれでは文化的研究の目的にも叶わない。 

 その銭塘江を渡り、運河の水路をたよりに蕭山、紹興、曹娥と来たものは必ずや百官の駅にくる。 百官から寧波へは一空、火車で二時間半で行かれるのである。

 さてその曹娥を出て百官に至る間には錦江の義渡がある。 錦江江畔には幾多の中国情緒の漲っている貴い材料がころがっている。 遊歴客はそれを親しく経験することが出来て、それが又中国らしい中国を味わう一助ともなるのである。

 自分は友人の張君を花潭村にたづねるべく曹娥の宿で前晩から轎子を頼んであったので、かれらは朝早くから第一号室の戸のそとに押しかけて待っている。 すっかり支度が出来て愈々轎子に乗ろうとする前、よくあることだから轎班だちに念の為。

「君等は花潭村の路はよく心得ているのか」と駄目をおして見たら一句同音に、

「曉得、曉得、明明白白」と如何にも心得たようにいう。 

 これは百官駅を知っているというだけの心でこちらの壺には少しも嵌っていなかった。 それはあとで判明した。 当てになると思い込んだのが間違いのたねである。

 しかし早朝宿を出て、山下河沿いの平野を行くこと三四里<中国里>、窓外の青々した眺めはよい。 年年歳歳相似たる山水の風光ながらもなつかしい。 

 錦江を義渡の船で渡る。 朝風は寒く身に浸む。 渡船は屋形船である。 七八人の乗合いもある。 船の左右の聯にはうまい佳句をかかげている。

     波平両岸潤。    風順一帆懸。 

 船頭の心にも風流を解している如く読まれたのである。

 それはさておき、轎班をあてにしていて要領を得なかった張君のことは百官の朱象賢という人の話しで最近帰杭して不在であることが明白となった。 自分はそこで正午の火車を待つ為それまで三時間余り錦江江畔の錦江春という茶亭で休むことにした。 錦江春とは名は美しいが竹の柱に茅の屋根式の極めて瀟洒というよりは掘立式のものである。

 気の利いた七八歳の女の児に梅干式の老婆と二人だけで、竈を焚き始めたり湯を沸かしたりして自分に茶を請ずる。 山の中腹だけに見晴らしがきき、錦江の流れに曹娥の野、遠山近峰新緑の装を見せ、義渡の船のあまた碇をおろして帆檣林立しているところなど一幅のよいパノラマである。

 後方の山に桃杏の花の見えたるあたりをあるく。 工程重地。 間人莫入。 とある。 役人でもいるところらしい。 茶亭に帰り娘の入れてくれた茶を喫む。 柱を見ると、

     勤筆免思。 以免争論。

 とある。 茶を喫みに来た客の時々騒ぎでもはじめるために戒めた語か、何だか意味あり気に読めた。 

 やがて卓によりて窓外錦江江畔義渡の去来、船人の往き来、里人の水汲み、紙の荷物の運搬、雑貨の集散、何くれとなく行人の活動するパノラマを見ていた所が江岸の全線に亙りひどく憐れそうな豚の鳴きさけぶ声がしきりと耳を刺すように聞こえる。 老婆にあれはどういうのだろうと大抵わかってはいるが念の為聞きただして見た。 老婆は、

「今、豚船が来ているから豚の積み込みがはじまったのですよ。 行って御覧になられたらどうです」

 と云う。 いって見るといかにも他の地方でやるとおなじくその四肢を十分に硬く縛り合わせてその一匹づつ悲鳴をあげているままを苦力どもが肩にかついで陸から運んでいっては船底へポンと投げるように落として行くのである。 幾十、幾百投げ込むかわからぬ。 

 この豚は縛られる間、かついで運ばれる間、投げ込まれたときは、随分苦しそうに哀を乞うて悲鳴しているが、底に納まると括られたまゝ黙しておとなしくなってしまう。 孟子が牛を見て惻隠の心を起こしたというが度々見ないうちはそうでもあったろう。 しかし自分だちの如くこうたびたび各地でそれを見せつけられていると麻痺したかたちで全く左程には思わなくなる。 ましてこれを運んでいる苦力人足たちには一種の音楽にでも聞こえているであろう。

 物も見よう一つで高い錦江春の茶亭から大観しているときは人足だちのエーホー、エーホーの掛け声とおなじ意味において豚の鳴叫も何だか全体として中国らしい濁った錦江の流水や船着きの景色や村民の物事に少しも頓着しない活きぶりなどによくハーモナイズしているようにも感ずるのである。

 それもその筈、美しく着かざっている姉妹らしい丸顔の女がふたりして、一本の天秤棒をかついで来て、水汀にヨチヨチ降ったと見ると桶に一パイその濁水を汲み込んで陽気そうに二人でまた休み休み坂を上って運んで帰る所が目についた。 これを飲料水にしていることは錦江春の婆々もあの美人だちも皆おなじことであるのである。

(後藤朝太郎著「支那游記]<昭和二年発行>より)

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