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2013年3月 4日 (月)

中国人に反映する生活要領<中国を愛す>

 日中事変の話であるが、皇軍の前線にありて、その武力戦の闘いのない時になると徒然に暮らさなくてはならぬ事がある。 恐らくこれという仕事のない時は、中隊長か誰かからか提案がある。 それは日本兵とそれから俘虜になっている中国兵とでお互に相撲でもとって見たらと云うことになる。 いよいよ相撲の幕となると、流石は日本の青年兵である。 武力戦に勝っている日本人の事とて、いくら素人角力だとは云え両国の個人同士の力較べとなっても強い。 又負けてはたまるか、こいと来る。

 こう云った心構えと覇気とは、あらゆる日本人の胸中に持ち合わされて居る処である。 そこで土俵と云う程でもないが畑地をうまく作り直し、土俵が出来上がる、これへ日本兵からと俘虜側とから一人一人出るのである。 果たして衆人環視の中のこととて見た処日本兵はからだは矮小であっても皆胆、甕の如しである。 一人として大和民族は負けたりなどするものではない。 実に鮮やかな勝ちかたをするのである。 中隊長殿も之を見て目を小さくして喜ぶ。 

 しかし,折角の日中両国兵隊の腕比べの相撲なのだから中国兵の方でも少しは努力して勝って見る様にしたらどうだとやったものだ。 余りの連戦連敗は中国兵とても張り合いがないだろうとの事で中隊長殿も同情のあまりかように情を籠めて云って見たものである。 

 

 すると言下に中国兵共の云うのには、努力して勝って見よとの事であるが、然らば勝ったとしたら褒美に何か頂けるのですか云々とやった。 そこでやるとも、香煙<タバコ>一本づつやるよ。五人勝負で勝った者には一函をおごるよ。十銭やるよと出たものである。 

 すると耳の鋭い中国兵はそれならよろしいですと決心したものと見える。 そこで始めから皆相撲のやり直しである。 東には日本兵、西に中国兵と分れ、ここにいよいよの腕較べの幕となったものだ。

 そのとき始めに組み合わされた日本兵と、中国兵の陳某。 じっと目と目を見合わせていたが、やがて四ッに組む、そしてお互いにうまくやっていたようだったが、豚肥えの首筋を光らせていた陳某。 大分力が這入ったと見る間にやった。 どうしたはずみか日本兵の方は残念にも投げられてしまった。 それから次いで又鄭というものが出て次の日本兵が組み合わされたのであったが、こっちが又やられてしまった。 その後次から次へ、とやったものだが、どうも中国兵の方がいつも優勢であって、日本兵は振わぬ。 時に一勝一敗はあった事はあったが、要するに大体日本兵の旗色が悪いのである。 

 そこで中国兵がどうして急にそれほどにうまくやるのかと聞いて見ると、前に最初相撲だという時は、何も頂けなかった。 只働きであったのだ。 だから力が出ぬのである。 又出す気もしなかったのだ。 処があとからシャンエン<香煙>なり金なりを賞与とすると聞くに至っては一臂の勢を惜しむわけにはいかなくなったのだという。 一文にもならぬ時は力を蓄えておく。 努力しても馬鹿らしい。 だが、報いられる事がわかれば今度はこの通り懸命にやるだけのことであります。 云々。

 この話は一つの教訓を含んでいる。 日本兵と中国兵の間のみの心理だと解する問題だと思われぬ。 すべて中国の人々の気持の中には些細な事にでも実際的の処がる。 無駄な力を出したり等するのは勿体ないと考えている。 動いただけでも損だ。 何もしないでじっとしている方がましだという考えが無意識に働いているのであると解釈せられる。 この一事実を見て、どう考えなくてはならぬか。 これは実に大きい示唆を与えている問題であろうと思う。

 極端な例で云って見ても、そこにはなかなか穿った話題がある。 例えばステーションで人がその切符を求めている間に、何か持ちものがスリによって取られている現場を見る。 ハッキリ判っていてもその取られている人に之を余計な事なりとして注意してやることもせぬ。 人の事は人の事なり自分に損も得もない事なりときめて居る。 物を落としていても忘れ物をしていても、その場で注意一つしてやろうともせぬ。 吾れ関せず焉をきめ込んでいるのである。 自分に関係のない事ではどんな騒ぎが起ころうと、之に走ったり、仲間入りしたりすることはせぬ。 頼まれもせぬ事に手を出したり、口を出したりした処で意味をなさぬとしているのだ。

 碼頭あたりで労働者苦力達の団体があちこち荷役をしている。 そして甲の団体の方が早く仕事を了えた後で骨休めをしている。 その中にポカンと口を開けて無駄話等している者もあるのだ。 乙の団体は仕事半ばにしてまだ懸命にやっている。 手が足りなくて困っているらしいのである。 それども一方の方がお手伝いして助けてあげましょうか等とは云わぬ。 要求依頼の交渉でも云って来ない限り、余計な事として手助けをするなど云う事はないのである。 そこにはいろいろ理由もあろうが、日本人の場合とは丸きり気持が違うのである。 

 これは頼まれもせぬのに手を出したり、余計な世話をやいたりすると、それだけでも腹が減る。 エネルギーが消耗する訳だ。 自分だけがそれよりも完全に保ち守る方が如何に安全であるか、いかに賢明であるか知れぬと見ている。 うまい中国料理をたらふく頂いて、そして成るべくジッとしているのだ。 益々身は豚肥えに太る一方なのである。 自分に安んじ以って意を養うと云うのが一番よい心掛けだとしているのが多い。

 坂の道を荷車を引き上げているのは見るに忍びぬ。 通り掛かった者は之を助けて押してやるのが人情である。 所がそうはせぬ。 交渉もない時に余計な力を消耗し、空な名を得たからとて何になるか、と云う実利的な気分の持ち主はかなりあちらに多くいる。

 勿論士君子の間にはかかる気分の者はいないであろうが、ややもするとかかる心構えでいる者を常識のある者となしている事がある。 之が中国の家庭生活に、いかに節約気分として表れているか。 つまらぬ事には一厘一毛も出さぬ。 旅行のとき宿に泊まっても余計なチップをおくことはせぬ。 日本人の如くその為に宿の勘定の時苦労する者は笑われている位である。 一割以上のものを出すは冗費なりとして見られているのだ。 この一事から見ても日本人の考えと大分開きのあることがわかるのである。

(後藤朝太郎著「四億萬の御客様」<昭和十五年発行>より)

 

 

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