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2013年3月 5日 (火)

利益を度外視する中国商人の心持<中国を愛す>

 日本では一般に、散歩の序でに小売店を訪ねたとしても、何だかせせこましい感じがしてならぬ。 いつもひやかしてばかりいる訳にもいかぬと云う気持のするのは勿論、鵜の目鷹の目で見張られているような気持もする。

 尤も日本人の多くは店に這入るなり、水雷艇式にその求めんとする処を一言で語り、その有無を聞くや直ぐ出て行くと云った、心あわただしい訪ね方をしている。 いかにもビジネス一点張りの世の中であるから、さうそう悠長なことを云ってもいられぬ。  この点になると、北京あたりの商い振りと、その主人の気持ちが何となくなつかしい。

 中国の小売店では主人と懇意になれば年一度でもよい。 まとまったものを求めてやるようにすればいくらでも交誼が繋がれる。 そして時には粗相をして大事な品物を指で押し破ったとか、取り落として割ったとかすることがあったとしても、主人はメイファーツ<没法子>仕方がないと云って根に持つことはしない。 少しもいやな顔をしない。 その為却って恐縮することがある。

 自分は北京の東四牌楼の或る古玩店でそうした体験を有している。 あとで別にそれを償うだけのものを求めて済ましてもらったことがある。 紳士的に面子を重んぜしむるこのやり方は気持のよいものである。

 それから又中国ではあんまり物の価をねぎっていると、却って主人から気をきかし、禅の問答みたような調子で以って、客を例の後房に請じお茶など出し始める。 少々薄気味悪く思っていると、いずくんぞ知らんこう云ったことを云う。

 「どうしてもあの品物がお気に召すなら、自分としては品が閣下の御目に止まっただけでも光栄に思っていたのだから少々御待ち願いたい」

 「今すぐ進物として包ませ閣下に贈呈することにいたしたい」云々。

 と云う。 こう云ったように高く大きく上品に出られては、何と云ってよいか。 挨拶の辞に困ってしまう。 今更いらないとも云えず、さらばと云って、大金を云い値通り払う気持もせず、進退両難のヂレンマに陥るのである。 しかし主人は明るい気持ちでニコニコ顔しながら尚つづけて云うに、

 「この品物が、閣下のような好きな方に愛してもらえるとは、品物にとっても幸せであります」

 うまく持上げてしまったものである。 こう出られては歯の浮くような思いがして、結局それでは折角だから……と云ってもらい受くるの外ない。 かくの如き行き方は上海あたりの目から鼻に抜けるような商店老舗には見ない。 矢張り北京でもリュリチャン<瑠璃廠>あたりの脱俗したところでなくては見られないのである。

 それも度々あることかどうか知らぬが、自分は先年一度体験したのである。 有りがたいような責任を負わされたような、そして又懐かしいような気持ちのするものであって、面白い事もあることかなと感じたのである。

 その後も遊歴の度毎に訪ねると主人自ら「ラオポンユウ<老朋友ー親しみの呼びかけ語>いつ帰ってきましたか」など懐かしげに云ってくれるので悪い気はしない。 こう云う気持に浴していると云うと、文雅の友と云った感じがして、用はなくとも店に立寄り熱茶をすすりながら、翰墨談の一つもして見たくなる。

(後藤朝太郎著「隣邦支那」<昭和十二年発行>より)

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