« これ食べるならここ! 築地 | トップページ | 五十嵐美幸の野菜中華ーMIYUKI流マジックテクニック »

2010年8月21日 (土)

壕に入れてもらえなかった私

 1941年12月8日、太平洋戦争が勃発して以来、障害者であった私の生活はすべて変わりました。 それ以来、「カタワ」「チンバ」と呼ばれ、名前で呼ばれることはありませんでした。 「チンバじゃ戦争にも行けん。 家でおとなしくしていろ」と言われるばかりでした。 

 サイパンが陥落し、本土決戦の話が出始めると、「神は鬼畜米英を神の国に呼び込んで撲滅されるだろう。 カタワ者は模擬銃でも持って、海岸に弾よけにでも並んでもらうか」などと、傷痍軍人上がりの町内会長から言われました。

 軍港だった長崎県佐世保市に住んでいたので、度重なるB29の空襲に遭いましたが、防空壕の中には一度も入れてもらえませんでした。 大空襲の時も母に抱きしめられながら逃げ回りました。 その時、母は「一寸先はどうなるか分からない。 明日のことを信じて生きようね」と、優しく語りかけてくれました。 その通り、防空壕に入っていた人が焼夷弾で入口をふさがれ亡くなりました。

 股関節カリエスの障害者であっても、77歳の今日まで人生を楽しく生きてこられたのは、明日を信じて希望を捨てなかったからだと思っています。

<自営業 藤村 芳朗     福岡県久留米市   77> 

(H22・8・20 朝日新聞<朝刊>所載)

|

« これ食べるならここ! 築地 | トップページ | 五十嵐美幸の野菜中華ーMIYUKI流マジックテクニック »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/127429/49206741

この記事へのトラックバック一覧です: 壕に入れてもらえなかった私:

« これ食べるならここ! 築地 | トップページ | 五十嵐美幸の野菜中華ーMIYUKI流マジックテクニック »